2018/02/15
本質をどのような方法で成長させるかについて、
2段階目の方法について解説します。
ヴィクトル・ユーゴーの名作、
劇団四季などで上演もされている
「レ・ミゼラブル」のテーマは「人間愛」です。
フランス革命前の王政政治の中で、
飢え、貧困、伝染病などで苦しむ民衆が舞台です。
主人公は、貧しい家に暮らす弟たちのために、
パン1個を盗んだ罪で19年間投獄され、
重労働の服役を経て出所した、ジャン・ヴァルジャン。
彼は、神と人間への不信を募らせ、世への憎悪を誓います。
そのような時、宿と食事を与えてくれた
教会の司教の親切を裏切り、
教会の銀の食器を盗み、逃げようとします。
が、すぐに警察に捕まえられ、司教のもとに戻され、
彼は全てを覚悟します。
すると意外なことに司教は
「銀の食器は、私の客人への贈り物」と言い、
さらに「客人は、銀の燭台を忘れた」と言って、
ジャン・ヴァルジャンに2つの燭台をも手渡します。
この司教の行為によって、
2度目の投獄(たぶん、終身刑、又は死刑)を彼は免れます。
司教の愛の行動と人間の良心に触れたジャン・ヴァルジャンは、
自分を深く悔い改め、真っ当に生きる決意をし、
後はパリ市長となり、末はフランス革命の成功に
深く関わっていくという社会的、歴史的にも、
ダイナミックなストーリーです。
しかも、この作品のテーマである「人間愛」は、
決して単純なものではなく、体制側の役割を果たすべく、
一官吏としてジャン・ヴァルジャンを追い続けるが、
自らに矛盾を抱え、苦悩し、自死する宿敵シャベルなど、
良心の理想と現実で揺れ動く人間が
鋭く深く壮大に描かれています。
もう一つ、同じような例を紹介します。
以前、メルマガで紹介した、
NHK BSドキュメンタリー「プリズンドック」で行われている
犯罪者の更生プログラムです。
これはアメリカ、オレゴン州の
マクラーレン青年厚生施設に入れられた青少年の犯罪者たちが
犬との関わりの中で、どのように人間性を再生させ、
意識と行動が変わり、更生が実現するかについて、
取材した番組です。
マクラーレン青年厚生施設に服役している青少年たちは、
18歳から25歳までの約350人。
皆、殺人、麻薬の売買、強盗、暴行、窃盗などを
繰り返した受刑者たちです。
この受刑者たちに、適切な世話もしつけもされず、
また愛情を受けてこなかった上、
必要とされず、捨てられた、人間に吠え、
噛みつきさえする犬が与えられます。
このドッグ・プログラムに参加した受刑者たちは、
3ヵ月で人間を信頼し、人間と親しい関係が作れる犬に、
矯正しなければなりません。
矯正に失敗すると、犬たちは全て殺処分されてしまいます。
受刑者たちも、適切な愛情や教育を受けてこなかったため、
親や他人や社会を憎み、自己肯定感が持てず、
自分を見失っている者が多くいます。
しかし、犬と同じような境遇である受刑者が、
食事してくれない犬や、
吠えるばかりで近づくこともしない犬に苦労しながら、
時には短気を起こし、又は絶望しながら、
最後は、互いに絆でつながり、
一度捨てられた犬でも、適切な愛情としつけにより、
良い家庭犬になれることがこの番組で紹介されています。
以上の2例で伝えたいことは、二つです。
一つは、2018年2月8日のブログで紹介した通り、
人間の精神構造の外側(卵の殻の部分)は、
どれほどに傷つけられたとしても、
内面の本質(卵の黄身、白身の部分)は変化せずに、
内面の成長を待っていること。
二つ目は、強く、暖かく、
本人の内面の本質的性質を呼び覚ます環境が与えられれば、
全ての人が持つ、落ち着きや絆、信頼、愛、
受容、慈悲などの本質は必ず芽生え、
黄身や白身がひよこになるように、
成長することが出来る可能性があるということです。
ここで皆さんは
「誰もがそうではあるまい。人によって違うだろう」と
思われることでしょう。
しかし、このドッグ・プログラムを経験した
受刑者の出所後の再犯率はゼロです。
この結果は、本質的な内面の成長は、
誰にも必ず起こるという
客観的な証拠を示しているとは言えないでしょうか。
安村明史
参考「僕に生きる力をくれた犬」(ポット出版)